幸せの見え方、不幸の見え方
誰だって
幸せになりたいし
幸せであろうと思うと思う
それが誰にでもできれば誰も悩まないし苦労もしないよね
とりあえずベタだけど幸せをコップに入った水で例えてみる
水の量が幸せの量だったとして
A.こんなにコップに水があると考える人
B.これだけしかコップに水がないと考える人
C.コップの水を一杯に満たそうと考える人
D.コップの水が空にならない様にしようと考える人
同じコップに同じ水の量が入っていても人によって、もしくは日によっても見え方が違ったりすると思う
Aの見方は
有るということに意識が向いている「ある幸せ」の状態
Bの見方は
無いということに意識が向いている「ない不幸」の状態
Cの見方は
増やすことによって幸せになろうとする「創る幸せ」の状態
Dの見方は
減る無くなってしまったらどうしようと「創る不幸」の状態
というような感じで同じ状況にあっても見方や意識がどこに向いているかでその時の「幸福感」や「不幸感」は大きく違って感じられるんじゃないかな?
だからどんな状況であってもその「状況」が人を幸せにしたり不幸せにしたりするんじゃなくて
その「状況」をどういう見方をするかで人は幸せになったり不幸せになったりするんだよね
だからまず変えるべきは「状況」ではなくて「見方」つまり意識のむける場所なんだよね
幸せだな⤴︎って感じているときは
どこに意識が向いているか
不幸せだな⤵︎って感じているときは
どこに意識が向いているか
そんな風に自分を客観的に見れると気楽になれるきっかけになるかもね
だけど
どんな見方もしない「こうでしかない」って絶対的な事実を受け入れられれば「幸せ」でも「不幸」でもないジャッジのない世界を生きられる
「幸せ」も「不幸」もただの思考が作り出す物語でしかないんだよね⤴︎
どうせ見るならハッピーな物語を ♫