コジンテキカクメイ

ココロにカクメイをおこそうとおもって

相対の世界、絶対の世界

テレビをつける


アフリカの恵まれない子どもたちの映像が映る


心が痛い


明日の食べ物さえ確かではない世界


いかに自分が恵まれているのか
いかに自分が幸せな人間なのか


忘れていた当たり前に感謝する


テレビをつける


セレブと言われる親を持つタレントの映像が映る



心が貧しくなる


使っても使ってもなくならない金がある世界


ただ生まれた家が違っただけで
絶対的な不平等でしかない現実


やっぱり私は恵まれていない



さて私は


「恵まれているのか」


「恵まれていないのか」


私は実は


恵まれているし、恵まれていない


私は私より


背の低い人を見て「私は背が高い」と信じ


背の高い人を見て「私は背が低い」と信じる


私は比べることによって世界を判断する


私は「相対の世界」を生きている



器という判断基準で私は私が


不足しているのか、満たされているのか、余っているのかを判断する


器は


夢だったり、思い出だったり、友達だったり、世界の現状だったりする


でも本当は



不足してもなく、満たされてもなく、余ってもいない



「こうでしかない」


という比較も判断もないあるがままの絶対の世界に全ての人が存在している


この世界に相対性を持ち込むことで
人は幸せにも不幸にもなることができる


こんな疑問を
誰もが持ったことがあると思う


私が貧しく哀れだと思う生活をしている異国の人たちが


何故、私よりも幸せそうに笑顔を絶やさずに生活しているのかと…


それは彼らは
「絶対の世界」に生きているから


比較して自分を不幸にすることも
比較して他人を不幸にすることもない



そして


全ての人が今この瞬間に


絶対の世界に帰ってくることができる


そもそも
そこから離れることなんて一時もできないのだから